慶応元年(1865年)幕末の京都。当時御所の料理方をしていた、初代・大黒屋藤三郎が千枚漬を考案し、創業しました。
当店の看板商品である千枚漬は、創業以来、手づくりの手法を維持し、基本的には当家の家族だけでつくり続けてまいりました。
なぜなら、材料の入荷から仕上げまで、二十四時間千枚漬と共に生活しなければ、千枚漬を本当に美味しく漬けることはできないからです。
暑い日には材料を冷蔵庫に移す、寒い日には材料の配分を微調整するといった、日常肌で感じた感覚で漬け方をコントロールすることによって、本物の千枚漬の味が醸し出せるのです。
また、千枚漬以外にも、伝承の技とごまかしを許さない心意気で、お漬物を作り続けています。風味豊かな旬の味覚にこだわり、京都流の味付けを施していくという理想を追究し、お漬物の美味しさを後世に伝えていきたいと願っております。
京都の老舗中の老舗64店が集まる「百味會(ひゃくみかい)」。
千枚漬の「大藤」、懐石料理の「瓢亭」、八ッ橋の「聖護院八ッ橋総本店」、など“1名物1店”の原則で結成し、一切の追加入を認めていない、京都の真髄ともいえる老舗の集まりにも加入しております。
昭和24年2月、京名物食品の復興をはかろうと開かれたのが始まりで 、「百味」 の語源は、仏教的色彩の非常に濃厚な供物を意味する「百味の御食」にあります。
京都はさまざまな食文化を育んだ街、洗練の味わいは時代を超えて、今も脈々と生きている中、百味會伝承は百味會同人の使命であると考えております。
江戸時代末期、幕末動乱にゆれる京都。
京都御所で働くひとりの料理方が、旬の聖護院かぶらをつかい一皿の浅漬けを考案しました。
かぶらを玉砂利、壬生菜(みぶな)を松の緑に見立てて御所の風景を表現している美しい漬物は、優雅な姿と淡味淡泊な味わいで宮中の人々にたいへん喜ばれたと伝わります。
慶應元年には御所を下がり、大黒屋藤三郎の名前から一文字を取り、「大藤」と屋号を定め自らこの漬物を売り出しました。宮中で評判の漬物は京都の町衆の間で「千枚漬け」と呼ばれ人気となり、漬物商らがこぞって作り始めた事から市井の物となりました。
質の良い原菜が収穫できる冬から作らず、はんなりと柔らかく繊細な味は代々当主のみが知る一子相伝による技によるものです。現在お届けしている千枚漬は昔ながらの漬け込みで五代目自ら仕上げた冬の逸品でございます。